この夏7月30日から8月4日にかけて南部ベトナムの中西部、ホーチミン市の西北に位置するカンボジア国境ぞいの省、タイニンを訪れた。これが私たちにとって5回目、そしてこの地域のリハビリテーションを支援することを決めてNPOを設立してから2回目の訪問になる。この訪問の記録を時間の流れに沿って綴ってみた。
 まずはじめに報告を理解していただくうえで最低限必要な事柄についてふれておきたい。私がベトナムにはじめて接することになったのは1995年のこと、「ベトちゃんドクちゃんの発達を願う会」の代表をされていた滋賀大学の藤本文朗氏の勧めで、ベトナムに多数いると言われている、戦争中に散布された枯葉剤による被害者、特に先天性障害者の実態調査に参加したことにさかのぼる。以来数次にわたって先天性障害の調査を行い、極端な重度・重複障害の多くの子ども達に出会った。ベトナム戦争で何か大変なことが起こったという実感は強烈である。残念なことにそれを枯葉剤と直接結びつけることはむずかしい。科学的な立証には厳密な調査がいる。その一方で殆ど何も手を施されることなく、いわば放置されたままの障害者と家族からは援助を求める有言・無言の訴えが発せられる。長期にわたった戦争による経済発展の遅れと貧困、医療の遅れのために障害の原因を問わず彼らの置かれている状況は厳しい。そんな経緯を経て、実態調査のみに終わることなく地域に必要な医療の支援、特にリハビリテーション支援へと発展してきた。私たちが選んだここタイニン省では肢体障害者が多かったこともあっての判断だった。2002年以後、毎年夏にはタイニン省を訪問して障害児者の健診とリハビリテーションの指導を行ってきている。
 

今回は日本人28人、現地で加わった通訳などを入れると36人というこれまでにない大所帯である。医療従事者、学生、マスコミ関係、教師など顔ぶれは多彩、年齢も多彩だ。全体を健診斑、リハビリテーション指導斑、在宅生活調査斑など5つのグループに分けて活動することになるが、ここまで大きくなるとカウンターパートであるタイニン省との打ち合わせも大変で、通訳を介してのやり取りがいっそう複雑さを増す。事務局をお願いした佐藤君などには大変な苦労をかけてしまった。全体の説明はこれくらいにして、そろそろ訪問内容の報告に入っていきたい。


7月30日、ホーチミン空港は雨、入国の手続きなどを終えて大型バスに乗り込みタイニン省へと向かう。約3時間くらいの行程だ。夕方17時頃だったろうか、いつものホアビンホテルに到着。ここは国営のホテルでホアビンとは「平和」を意味する。ベトナム戦争の激戦地だったというタイニンにちなんでの名前で、二度と戦争を繰り返してはならないという深い思いが込められているのであろう。外観は立派だが内装はお世辞にも良いとはいえない。暗いし、蚊にはさされるし壁にヤモリは這いまわっていて日本のホテルの感覚は通用しない。
到着早々、長旅の疲れも顧みずさっそくタイニン省側を交えて、明日からの活動計画の打ち合わせを行う。日本からの参加者も全員顔を合わすのはここがはじめてでみんな緊張の面持ち。夕食をはさんでグループごとの打ち合わせなど、初日からハードスケジュールだ。

やしの木をくぐって家庭訪問

牛に遊ばれて・・・・

始まりははリラックス




 7月31日、危惧された雨はあがって晴れ。地理的には熱帯、季節的には雨季。しかし日本の夏よりは何倍もすがすがしくて過ごしやすい。ホテルでのバイキングの朝食もそこそこに第一日目の活動が始まる。この日は私が担当した健診について書いてみたい。健診会場はホテルから車で約30分ほど行ったところにあるドンコイ村の診療所だ。今回はこれまでずっと私たちの活動に協力してくれている金沢の民間病院に勤務する整形外科医、京都民医連から2人、香川民医連から一人、合わせて4人の医師が参加した。そのうち検診を行うのは3人。一人は他のグループに協力する。健診の目的ははっきりしている。ベトナム側の医師と協力して一人一人の来所者に臨床診断を付ける。検査は出来ない。通所のリハビリテーションが適切か、在宅で行うのが適切か、補装具が必要か、手術が必要か、それを判断して、その判断に基づいてタイニン省当局が実行していく。求められることは一人一人に何が必要か、何をすべきかということだ。健診を通じて地域の障害の実態がほぼ把握され、そして必要な対応へとつながっていく。7月31日と8月1日の二日間で100人あまりの子ども達が来所した。事前の聞き取りなどでつかんでいた地域の障害児のほぼ全数である。
 


参加した医師団・・・真剣そのもの


           

         健診を待つ人たち

カム・ザンさんは20歳の女性、寝たきりのアテトーゼ型脳性まひの障害である。発語はないが話し言葉の理解はよく、話しかけに笑顔で反応してくれる。しかし体の障害は重く、移動は寝返りだけである。ひところ訓練を受けていたが今はもう何もしていない。作業所のようなところもないので毎日毎日が家の中での生活のみ。彼女のお母さんは生まれる寸前まで林の中で働いていて、林の中でお産になったそうだ。泣き声は聞かれず、すぐにけいれんが始まったとのこと、分娩時の脳損傷が強く疑われる。タイニン省で出会う障害者は、枯葉剤の関連は不明としても遺伝子の損傷が関わっているものが少なくない。が、他方では、カム・ザンさんのように妊娠中の管理がよければ予防できただろうにと思われる人たちも多い。今回の訪問では京都民医連中央病院の助産師吉田さんに参加してもらって、このあたりのことについて調査していただいた。いろいろなことがわかってきたが、障害の発生予防という点から見落とせないのは妊婦健診の問題だ。きちんと受けても3回だけ、一回も受診していないで出産を迎える場合もあるということだ。今後に活かしていけそうなポイントだ。

診察に当たる両国の医師とPT
聞き取りを進める吉田さん

キム・クワンさんは16歳の女性、生まれつきの水頭症で頭の重みのせいで座ることが出来ず寝たきりだ。頭の周囲を測定させていただいたら72cm、極端に大きい。これまで一切の治療や訓練を受けてきていない。当然手術の適応である。今回の健診では先天性水頭症の方をお二人に出合った。これまでの健診でも必ず何人か受診していた。遠く湾岸戦争後のイラクの報告でもこの障害はまれではない。胎児期に放射能やダイオキシンなど何らかの外因が加わって発症しているのではないかと推測される。それにしてももっと早期に手術がされていればちがった生活をおくれていたのにと思うと残念でならない。
 

診察を待つクワンさんと母親

先天性の心臓病の子ども達が8人健診に来た。すでに診断は付けられて手術を待っている。すぐに手術が出来ないのはお金の問題からだ。生活調査班の聞き取りから、この村の平均的な収入は40-50ドルくらいであることが分かった。手術に要する費用は1000-2000ドル、到底かなわない金額である。タイニン省は基金を作って援助しているが、それで対応できる子どもは年に一人くらいなのだそうだ。クワンさんもだが、この子らの手術費用まで私たちに支援する力はない。実情を日本の友人たちに知らせることだけ約束してきた。

フォンちゃん、12歳の女の子。リン君、14歳の男の子。ふたりとも一見して分かるダウン症の子どもだ。フォンちゃんは心臓疾患を合併しているがとても元気で、リン君のほうは目立った合併症もなさそうだ。学齢期に達しているがふたりともこれまで一度も学校にいったことはない。フォンちゃんもリン君も学校に行きたいという、家族の人も行かせたいと思いは強いにもかかわらずである。タイニン省では障害を持った子ども達が通える学校がない。聴覚障害者・視覚障害者のための学校が一校あるだけだ。
今回、滋賀県にある養護学校寄宿舎に勤める東先生が参加してくれた。昨年も写真撮影で参加してくれたが今回は一人のスタッフとしての参加だ。健診を待つ時間に、障害を持った子ども達を遊びに誘ってくれた。竹とんぼ、風車、シャボン玉、日本から持ち込んだ遊びグッズの数々を駆使して子どもたちの世界に入っていく。日頃あまり家族以外の人に関わってもらったことがないのか、日本の若いスタッフに抱っこされて笑顔いっぱいの我が子を見て喜びを隠しきれない母親の顔が印象的だ。彼女のもう一つの役割がタイニン省において障害を持った子ども達がどういった教育を受けているのか、家族や子ども達の教育についての要求はどうか、体制はどうなのか、それを調査することにあった。グループからの報告では、知的障害の子ども達、肢体不自由のために自力で移動の出来ない子ども達は学校に行けないのが実情だとのことである。どの子にも教育の機会を保障するという状況にはない。

東さんのシャボン玉に身を乗り出す我が子。 母もおもわず笑みがこぼれる。
ちょっと休憩
健診会場となった小学校前で
現役の水牛、大活躍

          目  次

           その1:はじめに、健診報告
           その2:リハビリ指導
           その3:生活調査斑
           その4:ホーチミン市散策

その1
2006 タイニン省訪問記